東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4893号 判決 1974年11月29日
原告(反訴被告)
富田あゆみ
外二名
原告ら訴訟代理人
西嶋勝彦
被告(反訴原告)
野村急送合資会社
右代表者
野村高敏
外一名
被告ら訴訟代理人
石原金三
外二名
主文
1 被告(反訴原告)野村急送合資会社は、原告(反訴被告)冨田孝子に対し金六七五万二八一一円、原告(反訴被告)冨田あゆみ、原告(反訴被告)冨田泰山に対し金六三五万八二九一円宛及び各金員に対する昭和四八年六月八日以降各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告(反訴被告)らの被告(反訴原告)野村急送合資会社に対するその余の請求及び被告佐藤輝義に対する請求を棄却する。
3 被告(反訴原告)野村急送合資会社の原告(反訴被告)らに対する反訴請求を棄却する。
4 訴訟費用は本訴反訴を通じ原告(反訴被告)らと被告(反訴原告)野村急送合資会社との間で生じたものは、これを三分し、その二を原告(反訴被告)らの負担とし、その余は被告(反訴原告)野村急送合資会社の負担とし、原告らと被告佐藤輝義との間で生じたものは原告らの負担とする。
5 この判決は原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一 申立
1 原告(反訴被告、以下単に原告という。)らの申立
一、被告(反訴原告)会社(以下単に、被告会社という。)及び被告佐藤は各自原告あゆみ、原告泰山に対しそれぞれ二二四七万五〇一〇円宛、原告孝子に対し二四八七万八八四二円及び各金員に対する訴状送達の日以降各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、被告会社の原告らに対する反訴請求を棄却する。
三、訴訟費用は本訴反訴を通じ被告らの負担とする。
四、仮執行の宣言。
2 被告らの申立
一、原告らの被告らに対する本訴請求を棄却する。
二、原告らは連帯して被告会社に対し九七万二五七〇円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三、訴訟費用は本訴反訴を通じ原告らの負担とする。
四、仮執行の宣言。<以下事実略>
理由
一事故の発生、被告会社の責任原因(人損)
本訴請求の原因一の事実中、原告車が右折中であつたとの事実を除くその余の事実は当事者間に争いがない。してみると、原告らが本訴請求の原因一において主張する日時頃、主張の場所において、被告会社が運行の用に供している被告車と原告車とが衝突し、原告車の運転者である冨田正之が死亡したものである。
よつて被告会社は、自賠法三条但書により免責されない限り、同条本文に基づき、冨田正之の死亡による損害(人損)を賠償すべき義務を負うものである。
二免責、被告会社の責任原因(物損)、被告佐藤の責任原因(人損・物損)、原告らの責任原因(反訴)、過失相殺
(一) 事故現場の状況
1 本件事故現場の状況に関し次の点は当事者間に争いがない。本件事故は名四国道一号線と明朝川堤防へ通じる側道との本件交差点内の事故である。本件交差点から約三〇〇メートル名四国道一号線を四日市市方向へ行くと明朝大橋北詰交差点があり、この交差点から名古屋市方向へR五〇〇メートルのカーブで、一〇〇分の三の下り勾配が切れた、平垣直線の名四国道一号線(事故当時歩車道の区別なし、上下線各二車線)と明朝川堤防へ通じる側道との交通整理の行われていない交差点が本件交差点である。本件交差点から約五〇メートル四日市市方向の被告車進路左側道路脇には、交差点ありの警戒標識が設置され、事故現場附近の被告車進路左側道路脇には転回禁止解除標識(つまり、被告車進路の前方で、対向車線側からの転回車があり得ることを示す標識)が設置されていて、被告車進路から充分認識し得る。事故現場付近の原告車進路の左側道路脇には転回禁止区域開始の道路標識(つまり、ここまでは転回自由であるが、前方では転回が禁止される区域に入ることを示す標識)が設置されている。
2 <証拠>を総合すると次の事実が認められる。
(1) 事故現場附近の名四国道一号線の片側車道の事故当時の有効幅員は上下線とも約6.9メートル、路側帯の幅員は約0.6メートルで、歩車道の区別はなかつた(現在は本件交差点から四日市市方向へ約五〇メートルの間、被告車進路の左側に歩道が設置されている。)。名四国道一号線の事故現場付近は終日駐車禁止に指定されている以外は、交通規制はない。名四国道一号線と交差する明朝川堤防へ通じる側道の西方進入口の事故当時の幅員は約一〇メートルで、その奥行約5.3メートルから南西に、幅員約4.5メートルの道路が明朝川堤防へ通じており、大型車のみ進入禁止指定区間である。この結果、原告車は本件交差点で右折、転回とも、道路交通法に違反しない場所である。
(2) 名四国道一号線の中央には、幅0.41メートルのコンクリート製の中央分離帯が設置されているが、本件交差点付近では、事故当時長さ約51.8メートルの間中央分離帯が設置されておらず、その間の路面には約2.8メートルの間隔で長さ約0.5メートル、幅0.1メートルのキャット・アイ(鋲様のもの)が一列に設置され、道路の中央であることを明らかにしている。四日市市方向の中央分離帯の北端から約二五メートル北西方向の被告車進路方向左側道路脇には道路照明灯(建設省名二三二番)が設置されている。なお現在は四日市市方向からの中央分離帯はさらに約25.3メートル延長されている。
(3) 本件事故現場の見通し状況は、被告車進路の四日市市方向からは、明朝大橋北詰から北方へ約一三〇メートルの地点から、前記交差点ありの警戒標識を認識することができ、同北詰から北方約二〇〇メートルの位置からは前記側道の西方への入口付近を見通すことができる。原告車進路の名古屋市方向からは本件交差点の約三〇〇メートル手前から直線であつて、見通しは良好である。
(4) 原被告車は件交差点で衝突後、四日市市方向からの中央分離帯の北端から約二五メートル北西方向の被告車進路方向左側道路脇に設置されている前記道路照明灯の附近に停止した。被告車の前部は原告車の左側面部にほぼ直角の形でくい込んだまま停止し、原告車の右前部が前記道路照明灯の支柱の下部に衝突し、原告車はやや右側に傾いていた。被告車のフロント・ウインド・ガラスは割れ、前部パネル、前照灯、ラジエーターグリル部分が破損してくぼみ、前部バンバーが取れ、スカートの部分が内側に曲り、前輪軸とハンドルシャフトが折損していた。原告車は左側面部が深くえぐられたように内側にくぼみ、ルーフ・パネルが破損して上方にあがり、右側面部もドアが破損して開放し、全体に、左側面部を中心として大破していた。停止した原告車の右側面から北方約2.4メートルの位置に冨田正之が頭部を四方に向けて倒れ即死していた。
(5) 事故現場付近の路面には原被告車のスリップ痕及び擦過痕等は認められなかつたが、ガラス片が広範囲に散乱していた。
(6) 事故現場付近の路面はアスファルト舗装され平坦であつたが、事故当時は降雨のため湿潤していた。
(7) 事故現場の交通量は、事故直後の午後五時一〇分頃から実施された実況見分時には、五分間に自動車約二五〇台(上り名古屋市方向車線)、昭和四八年四月二五日午前九時四五分頃から実施された実況見分時には五分間に自動車約二〇〇台(同上)、昭和四九年三月八日(当裁判所の検証)午後一二時五〇分から約五分間には上り名古屋市方向車線自動車約七〇台、下り四日市市方向車線自動車約一〇〇台であり、右のうち約七割が大型貨物自動車で、その他は普通貨物自動車と普通乗用自動車であつた。
3 原被告車の衝突事故後、後記大型貨物自動車をはじめとする被告車の後続車との第二次衝突事故が発生しなかつた事実は当事者間に争いがない。
(二) 原被告車の行動様式
1 原告車は名古屋市方向から四日市市方向へ本件交差点に至つた事実、被告車は四日市市方向から名古屋市方向へ進行し、本件交差点から約三〇〇メートル手前の前記の明朝大橋北詰交差点を経て、時速六〇ないし七〇キロの速度で進行し、大型貨物自動車を追い抜き(進路変更の有無については争いがある。)、本件交差点に至り、本件交差点内の追越車線上で、原告車の左側面に被告車の前部をほぼ直角に激突させ、そのまま原告車を押しだしつつ進行し、左側車線を塞ぐ状態で停止した事実、被告車運転者の被告佐藤は衝突事故の直前で原告車を発見している事実は当事者間に争いがない。
そして<証拠>によると、被告佐藤が実況見分時において衝突地点であると指示説明した地点から、原被告車が停止した前記道路照明灯までの距離は約一七ないし一八メートルと計測されている。
2 ところで、原告らは、本件事故は、被告佐藤の前方不注視及び安全運転義務違反の過失により、右折中の原告車に衝突したものである旨主張するのに反し、被告らはこれを全く否定し、本件事故の原因は、原告車が対向車線側からスリップして被告車進路の直前に逸走してきたことにあるか、仮りに右折としても、被告車の直前で交差点の南端近くにとびだすような方法で右折してきた無謀な運転方法にある旨主張する。
(1) そこで先ず原告車が本件交差点で対向車線内に進入した理由について検討する。
原告らは、原告車は右折中であつた旨主張する。前判示事実に、<証拠>によると、冨田正之は事故当日浜松市にある実家へ行つて、鈴鹿市にある自宅への帰路、本件交差点にさしかかつたものであるが、本件交差点を右折して前記明朝川堤防へ通じる側道へ進入し、明朝川堤防沿いの道を経て、国道一号線を南進し、四日市市を経由して二三号線を鈴鹿市に至ることも可能である事実が認められ、これに反する証拠はない。そして前判示のとおり、被告車は原告車の左側面にほぼ直角に衝突しているものであり、右折車と対向車との衝突事故にありがちなことである。右に見た原告車の運行の目的、経路と衝突の形態に照らすと、原告車は本件交差点で右折中であつた可能性は強いのであつて、これに副う原告らの主張も一応の根拠を持つているものと考えられる。被告らは、原告車が本件交差点で右折するのであれば、衝突地点での右折は、少なくとも一〇メートル位四日市市方向へ行き過ぎている旨主張し、当裁判所の検証調書添付図面記載の中央分離帯の第三と第四の横穴の附近が右折に最も適した位置である旨指示説明している。そして衝突の地点については、右検証時の原被告らの指示説明には若干のくい違いはあるが、いずれにしても、被告らが右折最適地点と指示している位置よりも四日市市方向へ行き過ぎており、本件交差点の南端近くであることでは原被告らの指示説明はほぼ一致している。しかし、本件事故現場の交通量は、二(一)2(7)欄に判示したとおりであつて、交通頻繁な幹線道路であるから、かかる道路を右折横断しようとする運転者としては、できるだけ最短距離で対向車線を横断しようとしたと見ることも充分に可能であるから、被告らの右の指摘だけで、原告車が右折中であつた可能性を全く否定し去ることもできない。しかし、ながら、<証拠>によると、鈴鹿市へ行くには、本件交差点を右折して前記の経路を進行することはかえつて遠まわりであり、常識的には、本件交差点で右折することなく、名四国道一号線を直進して四日市市に至り、二三号線を経て鈴鹿市に至るのが普通の進路であると認められ、これに反する証拠はない。そして<証拠>によると、被告佐藤は刑事々件の捜査過程及び当裁判所における本人尋問を通じ終始、原告車は被告車の直前で急にでてきた旨供述している事実が認められる。後に検討するとおり、右供述によつて、右供述に副う事実をたやすく認定することはできないが、原告車が右折中であつたとの事実の認定を動かすものではある。
以上の次第で、後に検討する諸般の認定判断をも勘案すると、原告車は本件交差点で右折中であつたとの可能性は強く、これを全く否定し去ることはできないが、右折中であつたと認定するにも足りない。
被告らは、原告車はスリップして対向車線へ逸走した旨主張する。前判示事実に<証拠>によると本件事故当時は降雨のため路面が湿潤していてスリップしやすい状況にあつたこと、原告車の前輪タイヤは本件事故の一ケ月程以前に交換されているが、後輪タイヤはかなりの程度に摩滅していたこと、被告佐藤は本人尋問において、原告車のスリップを窺わせる供述をしていることの事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。しかし<証拠>によると、被告佐藤は刑事事件の捜査過程で、すべつてでてきた感じではない旨の供述もしているそして前判示のとおり、原告車が右折中であつた可能性も否定し得ないことをも勘案すると、原告車がスリップして対向車線へ進入した可能性も否定し得ないが、スリップして進入したとも認めることはできないことに帰する。そして、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
前判示事故当時の原告車の運行の目的に、<証拠>を勘案すると、本件全証拠によつても、原告車は転回のため対向車線に進入したものと認めることもできない。
(2) 次に本件交差点に至るまでの被告車の動静について検討することとなるが、原告車運転者冨田正之は即死し、事故態様について供述を求めることはできず、他に目撃者もいない本件においては、前判示事故現場の状況及び当事者間に争いのない限度での原被告車の行動様式を勘案し、この点についての直接証拠である、被告車運転者、被告佐藤の供述を検討する以外にない。
被告佐藤は前判示のとおり刑事々件の捜査過程及び当裁判所における本人尋問を通じ終始、被告車が本件交差点に至つた際、原告車は対向車線側から、被告車の直前にでてきた旨供述している。右の供述のとおりであれば、原告車が対向車線側に進入した理由のいかんを詮索するまでもなく、本件事案の把握は容易である。原告車がスリップして逸走した場合はもとより、右折した場合であつても、原告車によほどの前方不注視の過失があつたものと推認する他ないからである。しかしながら、被告佐藤は、後に見るとおり、本件において被告佐藤の前方注視義務及び安全運転義務違反の有無を判断するに当つて肝要な、明朝大橋北詰交差点での信号待ち停止の事実の有無及び先行する大型貨物自動車を追い抜くにあたつての進路変更の有無について、変転とした供述をしている。また、人間は見ようと思わないものに対しては、たとえ目で見ていても、それはただ「見る」だけで「意識」には残らないものである。はたして被告佐藤は、原告車が対向車線に進入する以前の、原告車の動静については確たる供述をしていないし、本件交差点であることはきずかなかつた旨供述しているのである。してみると、被告佐藤の意識にはじめて残つた原告車の動静をとらえて、原告車は被告車の直前にいきなりでてきたとの供述になつたとしても異とするに足りない。さらに前判示のとおり、原告車がスリップして逸走したとの事実を認めることはできず、右折中であつた可能性も否定し得ないのであるが、一般に交通頻繁な幹線道路における右折は、自動車進路前方後方、対向車線及び進入先道路等の動静に対する充分な注意を払うことを要求される危険な運転様式であるから、特段の事情のない限り、右折車運転者としては、高度の意識の緊張状態にあることが予測されるのであり、事前に右折の準備をしてすばやく対向車線に進入するのが通常であり、それでも事故になるのは、右折車側においては対向車との距離速度等の予測の誤りがあるか、直進車側においては速度違反、前方不注視、優先権への過当な信頼等に起因している場合が多いのであつて、右折車側において、対向車の直前で右折を敢行したことに起因する場合は少ない。
以上の次第で被告佐藤の、原告車は被告車の直前にいきなりでてきた旨の前記供述によつて、右供述に副う事実をたやすく認定することはできない。
次に、原告らは、被告佐藤は、先行する大型貨物自動車を、進路を変更して追い抜くに際し、大型貨物自動車に注意を奪われた結果、前方不注視の過失を招き、原告車の発見が遅れた旨主張するので検討する。被告車が本件交差点から約三〇〇メートル南方の明朝大橋北詰交差点を経て、時速六〇ないし七〇キロの速度で進行し、走行車線を進行中の大型貨物自動車を追い抜いたこと(進路変更の有無については争いがある。)は当事者間に争いがない。被告佐藤は本人尋問において、明朝大橋北詰交差点の追越車線の先頭で信号待ちのため停止し、青信号で発進し、追越車線を約一三〇メートル進行した頃、前記大型貨物自動車を追い抜いた旨供述し、進路変更の事実を否定するとともに明朝大橋北詰交差点での信号待ち停止の事実を肯定している。右供述のとおりであれば前記大型貨物自動車の存在ないし追い抜きの事実が格別被告車の前方注視義務の妨げになつたものと推認することはできない。
しかし被告佐藤は刑事事件の捜査過程で、明朝大橋北詰交差点での信号待ち停止の事実を肯定したり、否定したりしているが、前記大型貨物自動車を追い抜くに当つて進路変更をした事実については肯定しており、この点を争つた形跡は見当らないのであり、進路変更の事実を否定する被告佐藤の本人尋問における供述部分はたやすく措信することはできず、かえつて、<証拠>によると被告佐藤は走行車線を走行中、追越車線側へ進路変更して前記大型貨物自動車を追い抜きにかかつたものと認められる。右事実と<証拠>によると被告車は明朝大橋北詰交差点を信号待ち停止せず、青信号で通過し、走行車線を進行中、前方の走行車線上を遅い速度で進行中の前記貨物自動車を発見し、追越車線へ進路を変更して追い抜きにかかつたものと認められる(被告車が信号待ち停止をしたとすれば、前記大型貨物自動車は、被告車が明朝大橋北詰交差点で停止するに至つた赤信号の、直前の黄信号ないしはその前の青信号で、前記北詰交差点を通過した可能性が強いこととなり、本件交差点までに、追い抜きがあり得るか疑問が残る。)。問題は右の態様の追い抜きと前記大型貨物自動車の存在が、被告佐藤の前方注視義務を妨げる要因となつたかである。被告佐藤は前記交差点ありの警戒標識を見落し、交差点であることは意識していなかつた旨供述しているので対向車線に対し特別の注意をしていたものとは認められない。重要なのは被告車が本件交差点に至るどの位前から前記大型貨物自動車を、進路を変更して追い抜きにかかつたか、ひいては本件交差点に至つた際の被告車と前記大型貨物自動車との位置関係である。被告佐藤は、本人尋問において、この点につき、本件交差点に至つた際には、被告車の方が、前記大型貨物自動車よりも、先行していた旨供述している。そして前判示のとおり、被告車は本件交差点内の追越車線上で衝突した後、走行車線側へ約一七ないし一八メートル進行し、走行車線を塞ぐような状態で停止しているのであるが、前記大型貨物自動車をはじめとする後続車との二次衝突事故に至つていないことは当事者間に争いがない。そうすると被告車は本件交差点に至つた際には既に、走行車線上にある前記大型貨物自動車のかなりの前方の追越車線上を先行していたものと推認することができるから、被告車が前記大型貨物自動車の進路上の前方にでる、つまり追い越しをする予定であつたのであれば格別(本件全証拠によるもかかる証拠はない。)、単に追い抜きにあつては、被告佐藤としては、前記大型貨物自動車に先行するに加速しているとは推認できても、前判示事故時の天候を勘案しても、前記大型貨物自動車の存在及び追い抜きの事実から、不法行為の成立要件としての具体的注意義務違反としての過失を構成するに足りる前方注視義務違反があつたと推認するには不充分である。
最後に本件交差点に至つた際の被告車の速度について検討する必要がある。前判示のとおり被告車進路の名四国道一号線は、制限速度の指定がないので、法定制限速度の時速五〇キロが被告車の遵守すべき速度であるが、被告佐藤がこれに反し、時速六〇ないし七〇キロで進行していたことは被告らの争わないところであり、また原被告車の前判示損傷状況、事故後の状況をも勘案すると、前記大型貨物自動車を追い抜くに当り加速したと推認する余地もある。しかし、これまで検討してきたとおり、原告車が本件交差点で対向車線内に進入した行動様式を適法に確定するに足りる証拠がない以上、右の被告車の制限速度違反と本件事故との因果関係を肯定するに足りる証拠がないことに帰するととも、否定する証拠がないことにもなる。
(三) 責任の帰属
以上のとおり、本件事故の態様について種々の観点から検討を加えてきた。しかし、事故当時雨天で路が湿潤しており、事故の再現にとつて不可欠のスリップ痕等も認められず、客観的資料は余りにも乏しい。加えて被告佐藤の供述の信用性をはかるにとつて欠かせない、対向運転手の冨田正之は即死して供述を求めえず、目撃者もいない。わずかに事故の態様について確定し得た事実は、ほぼ次の事実である。被告車は明朝大橋北詰交差点を青信号で通過し、走行車線上の前方を進行中の大型貨物自動車を、追越車線へ進路を変更して追い抜き、時速六〇ないし七〇キロ以上の速度で進行中、本件交差点の追越車線上で、対向直進してきてなんらかの理由で対向車線側へ進入した原告車の左側面にほぼ直角に激突し、走行車線側へ原告車を斜めに押しだしながら、ほぼ約一七ないし一八メートル進行して道路脇の照明灯の支柱に衝突して停止した。
右のような態様の事故において、民法七〇九条の不法行為の要件及び自賠法三条但書の免責の要件としての、双方の自動車運転者の過失の有無を判断するに当つては、単にいずれに道路交通法上の優先通行権が帰属するかによつて決定できるものでないことはもとよりであつて、事故発生の予見とその防止の可能性の有無をも検討し、より具体的な注意義務違反としての過失の存否が問われねばならない。かかる観点からの双方の自動車運転者の具体的注意義務違反としての過失の有無は、相互に、相手車の運行態様との対比において決定されることは明らかであるが、右に見たとおり、原告車が対向車線に進入した理由ないし運行態様を確定することもできないし、これとの対比において、被告車との距離関係等の被告車の運行態様も確定することができない。また被告車の前記制限速度違反の事実と本件事故との因果関係の有無も確定できない。したがつて原告車運転者の冨田正之に具体的注意義務違反としての過失があつたと認定することもできない。また、被告車運転者の被告佐藤にも具体的注意義務違反としての過失があつたと認定することもできないし、反面、具体的注意義務違反としての過失がなかつたとも認定することはできないことに帰する。
以上の次第であるから、本件の本訴と反訴の各請求の当否及び免責の抗弁の理由の有無は、結局、立証責任により決定する他ない。
よつて、原告らの被告会社に対する冨田正之の死亡による人身損害の賠償請求についての被告らの、自賠法三条但書に基づく免責の抗弁は、被告車の被告佐藤の過失の不存在の立証がないので、その余の点について判断を加えるまでもなく理由がなく、被告会社は冨田正之の死亡による人身損害を賠償すべき義務を負うこととなる。
原告らの被告会社に対する原告車の損傷による損害賠償の請求及び被告佐藤に対する本訴請求(人損・物損)については、被告車運転者の被告佐藤の過失の立証がないし、被告会社の原告らに対する被告車の損傷による損害賠償の反訴請求については、原告車運転者冨田正之の過失の立証がないので、いずれの請求についても、その余の点について判断を加えるまでもなく理由がないことに帰する。
そこで、以下、原告らの被告会社に対する富田正之の死亡による人身損害の賠償請求について判断を進めることとする。
(四) 過失相殺
被告会社の、冨田正之の死亡による人身損害についての免責の抗弁は、過失相殺の主張を含むものと理解するので、以下この点について判断する。
前判示のとおり、被害者の冨田正之に具体的注意義務違反としての過失があつたと認定するに足りる証拠はなかつた。しかしながら過失相殺における過失は、不法行為者に対し積極的に損害賠償責任を負わせる不法行為の成立要件としての過失とは、その性質・機能・効果を異にし、被害者のもつ損害賠償請求権が公平の観念からその認容額を調整、決定されるという、自己自身の利益に対する消極的な不注意に過ぎないものと観念されるから、不法行為の要件としての具体的注意義務違反としての過失があることを要するものではなく、公平の観念から、認容額の調整を要するに足りる不注意があれば、過失相殺の規定を適用することは許されるものというべきである。そして、本件事故は、本件交差点内の、被告車の直進進路上で、対向車線から進入した原告車と直進被告車との衝突事故であることは確定できたものであり、右事実によると冨田正之には右に見た性質の不注意があつたものと推認できるので、被告会社に対し支払を命ずべき損害額の算定に当り、冨田正之の右の不注意を斟酌するのが相当である。しかし、過失相殺に際し、具体的注意義務違反としての過失を斟酌する場合に比べ、その斟酌の程度は下まわるべきものと判断される。
他方において、前判示のとおり、被告車運転者被告佐藤の具体的注意義務違反としての過失を積極的に認定することもできないが、原告車が右折して対向車線へ進入した可能性も強く、したがつて被告車の前記制限速度違反が事故に寄与した可能性を否定し去ることもできなかつたものである。してみると自賠法三条の立証責任の法意に照らし、被告らにおいて、積極的に右の違法と本件事故との因果関係の不存在、ひいては過失の不存在の立証をなし得ない以上、過失相殺においても、右の違法は本件事故と因果関係があつたもの、つまり過失があつたものとして、考えるべきである。
以上の次第であるから、冨田正之の右の不注意を斟酌し、原告らは被告会社に対し、損害額のうち四割を請求し得るにとどまると解するのが相当である。
三損害
(一) 逸失利益
1 <証拠>によると、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。冨田正之は昭和二〇年一月一日生(事故当時二八才)の健康な男子で、昭和四四年三月二九日原告孝子と婚姻(事故時扶養家族は原告ら三人)、昭和四六年三月名古屋大学医学部卒業後、直ちに愛知県新城市市民病院に外科医として勤務し、昭和四七年四月以来三重県鈴鹿市所在の三重県厚生農業協同組合連合会中勢総合病院外科医の職にあつた。冨田正之の同院での昭和四七年四月以降昭和四八年三月までの年間賃金総額は二六〇万八一五〇円で、その内訳は基本給一一〇万七六〇〇円(月額九万二三〇〇円)、夏期手当、冬期手当、診療手当等の諸手当合計一五〇万〇五五〇円(月額平均一二万五〇四五円)であつた。冨田正之の同院での昭和四八年四月当時の基本給は月額九万七七〇〇円(四等級二号俸)であり、同院の職員に適用される三重県厚生農業協同組合連合会職員給与規定によると、毎年一回四月に定期昇給が行われ、各年度の基本給は別表二該当欄記載のとおりと推認でき、定年は五五才と定められている。また将来の諸手当は不確定であるが通常基本給の上昇に正比例して上昇すると推認できるので、少なくとも昭和四七年度の年額手当合計一五〇万〇五五〇円(月額平均一二万五〇四五円)を下まわることはないものと推認できる。
また右証拠によると、冨田正之は同院から嘱託医代行として冨士電気株式会社鈴鹿工場に、月に三ないし四回派遣され、同院を通じ、右収入の他に、月額七二〇〇円(年額八万六四〇〇円)の手当の支給を得ていたことが認められ、これに反する証拠はない。右事実によると、冨田正之は将来とも右の程度の副収入をあげえたものと推認できる。
以上の次第で、別表二記載のとおり、冨田正之の各年度(四月から翌年三月まで)の総収入(D)は、各年度の基本給合計(A)と同院での諸手当年額一五〇万〇五五〇円(B)、嘱託医代行としての年額手当八万六四〇〇円(C)を合算したものとなる。また前判示のとおり同院は五五才定年制であるが、冨田正之は、その職業に照らし、六三才までは少なくとも定年時の収入を下まわらない収入をあげ得るものと推認できる。そして冨田正之の収入、家族関係、職業等を勘案すると冨田正之は生活費等の経費として、平均して年収の三割を要するものと推認できる。よつて、ライプニツツ式により中間利息を控除した右収入の逸失利益の事故時の現価の合計は別表二記載のとおり四二八二万三五九七円となる。但し原告らは昭和四八年四月分を既に受領している旨陳述しているので、同年度は一一ケ月分して算出したものである。
2 前判示事実、<証拠>によると、冨田正之は定年(五五才、昭和七四年一二月末日)まで同院に勤務することができ、定年退職時に、三重県厚生農業協同組合連合会退職給与規定により、勤続二七年九ケ月、前判示退職前月の月額基本給二七万三九〇〇円を計算の基礎として、二七万三九〇〇円の五四ケ月分(A)と、Aを二七で除した額に一二分の九を乗じた額(B)との合計額(A+B)を退職金として受領することができたものと推認できるところ、事故によりこれを喪失したものである。よつてライプニツツ式により中間利息を控除(係数0.2678)した退職金の事故時の現価の近似値は四〇七万〇九四八円となる。
3 以上の次第で逸失利益の合計は四六八九万四五四五円となり、原告孝子は冨田正之の妻であつた者、その余の原告らは子で、法定相続分により相続したことは当事者間に争いがないので、原告らは各三分の一に相当する一五六三万一五一五円宛の被告会社に対する逸失利益の損害賠償請求権を相続したものである。
(二) 葬儀費及び諸雑費
<証拠>によると、原告孝子は冨田正之の死亡により葬儀を執行し、葬儀費(本訴請求の原因四(二))及び諸雑費(同四(四))として相当の金額を支出し損害を受けたものと認められるが、このうち本件事故と相当因果関係があるのは五〇万円と認めるのが相当である。
(三) 運送賃
<証拠>によると本訴請求の原因四(三)の事実が認められ、これにより原告孝子は二三万六三〇〇円の損害を受けたと認められ、これに反する証拠はない。
(四) 慰藉料
前判示被害の程度、冨田正之と原告らの身分関係、原告孝子本人尋問の結果によつて認められる、原告らの現在の生活状況等、その他本件口頭弁論に顕われた諸般の事情を斟酌すると、慰藉料としては、原告孝子三〇〇万円、その余の原告ら各二〇〇万円宛とするのが相当である。
(五) よつて原告孝子の損害は一九三六万七八一五円、その余の原告らの各損害は、一七六三万一五一五円宛となるところ、前記冨田正之の不注意を六割斟酌すると、被告会社に対して請求し得る損害は、原告孝子七七四万七一二六円、その余の原告ら各七〇五万二六〇六円宛となるが、原告らが自賠責保険から各一〇九万四三一五円宛を填補受領したことは当事者間に争いなく、原告正子は、葬儀費の名目で被告らから三〇万円を受領している旨自陳しているので、これを控除すると、結局被告会社に対して請求し得る損害は、原告孝子六三五万二八一一円、その余の原告ら各五九五万八二九一円宛となる。
(六) 弁護士費用
弁論の全趣旨によると原告らは、被告会社が任意の支払に応じないので、原告訴訟人は本件取立を委任し報酬の支払い約束をしていることが認められる。そして本件事案の性質、難易度、審理の経過、認容額に照らすと、被告会社に対し支払を求め得る弁護士費用は、原告ら各四〇万円宛とするのが相当である。
四結論
以上の次第であるから、結局原告らの被告らに対する本訴請求は、被告会社に対し、原告孝子が六七五万二八一一円、その余の原告らが各六三五万八二九一円宛の人身損害の賠償及び各金員に対する訴状送達の日であること記録上明らかな昭和四八年六月八日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でのみ理由があるので認容し、原告らの被告会社に対するその余の請求及び被告佐藤に対する請求は理由がないのでいずれも棄却する。また被告会社の原告らに対する請求も理由がないので棄却する。
よつて訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。 (宮良允通)
<別表一、二省略>